2009年2月11日水曜日

ワイン会 2/11

この日は祝日なので、ワイン会を久々に開きました。
結婚式などでの忙しさから解放され、ようやく落ち着いてワインに向き合えるようになりました。
今回は、僕の趣向で「ブルゴーニュ古酒の会」を開催。
完全に僕の好みの会です。この年(30)にして老齢精妙な味が好きな自分に我が父は
将来を案じております。
昔から、野球では「篠塚」好きの自分としては、職人的渋さのある地味が好きなのです。

今回は7種。 

1  1976 PERNAND VERGELESSE  IL DE VERGELESSES  / LAREURE PIOT
2 1982 GEVREY CHAMBERTIN  / JEAN-BASTIAN RICHARD
3  1990 POMMARD CLOS DES EPENOTS  /COURCEL 
4  1990 VOSNE ROMANEE / JEAN GROS
5  1983 NUIT SAINT GEORGES 1ER CRU LES SAINT GEORGES / HENRI GOUGES
6  1972 CHAMBOLLE MUSIGNY / BOUCHARD PERE ET FILS
7  1973 BEANE  / HOSPICE DE BEANE  LOUIS LATOUR 

まずは、ペルナンをアペリティフに。
76年は天候が良かったせいか、大量生産されている可能性が高い。
色調も薄いので、とりあえず最初に飲むことに。
アペラシオンも作り手も小粒ですし。

色調;淡くオレンジが支配的。透き通るように綺麗でした。
香り;ドライフラワー(バラ)ストロベリージャム。キノコ、紅茶。香りのヴォリュームと
複雑さは控えめだが、ペルナンらしい可愛らしいまとまり方。若いときも熟成しても優しい魅力的なワイン。こういうのは素敵です。でも酸が強いので苦手な方も多いのでは。

次はジュブレ。1982年。これも76に近い状況。穫れすぎてタンクに入らなかった年。
香りは、ペルナンに比べてややヴォリュームがある。
最初はキノコ、プーアール、その後にドライフラワー。
これも複雑味は控えめだが、とてもエレガント。
口当たりも柔らかく、酸が上品。


続いて90年の飲み比べ。暖冬で発芽も早く、夏も乾燥。しかもミルランダージュがおこり
実も小さい。味は濃そうだ。

ポマールは鉄分が多く粘度質。自ずとタンニンとヴォリュームが出てくる。
やはり若い。なめし革と鉄、金属的な香り。紅茶、グリオットのコンフィ。クローヴのようなスパイスの香り。
厚みがあり、質感がどっしり構えた感じ。時間が必要なので大きめのデキャンタ。
時間とともに口当たりはなめらかに、でもこの金属的な香りはどうにもならない。
クルセルのワインは強い。

続いてジャングロ。伝説の作り手ジャングロ。
素晴らしい香り。華やかなイチゴの香り。なぜか桃やアプリコットのフルーツ的な香り。
薫製やシガー。非常に華やかでなめらか。エレガントなワイン。
今回の出席者のK井君が、香りを嗅いだ習慣に「おおおおおお」
まさに『遠峰状態』

余韻もエレガント。K井君はアンヌ・グロのリシュブールがこの先に見えたとのたまう。
なんかいい方も神の雫的。
今度、僕が雫で彼が遠峰のパロディでも作ろうかな。(本物がすでにパロディに見えて仕方ない)

1983年。非常にばらつきがあった年。ニュイ側は雹がとても多く生産量が激減した模様。
個人的にはあたりが多い。

抜栓直後は逝っちゃってるかな?と思ったけど。
デキャンタしたら復活。

バルサミコや土、ドライプラム、クローヴ。
プーアール、バラ、アプリコット。
ヴォリューム感があり、スパイシー。
古典的な味ですね。
時代を越える確かな味わい。
安心。 

1972年。冷夏で乾燥。あんまり印象はない年。DRCリシュブールはうまかった(自慢)
淡く、優しく、華やかながらエレガント。
時間が止まる華やかさ。
香りでうっとり。オレンジやアプリコット、バラ、とにかく華やかではかない感じ。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」を思い出す。どうでもいいか〜。

ちなみにこれはイギリスもの。
この頃はイギリス経由のものの方がいいものが多い。
(理由は私に聞いてくだされ)

これを書いているときには、既にお酒がしっかり入っていると思われます。
だからブログが更新しないのではないかと。

1973年。今度は質感が落ち着いている。
香りより味わいがよい。
うま味です。紅茶や醤油。この頃になると集中力が切れたのか記憶が曖昧。
しかし、飲み込んでみると、バラのドライフラワーやスパイス、イチゴのジャムのような
豊かな香りが広がってゆく。これは本当に不思議。





本日のワイン&生産者について


1 1990 POMMARD CLOS DES EPENOTS  /COURCEL 

ドメーヌは16世紀に創設され400年つづく名門ドメーヌ。

ロバート・パーカーが「感動できるポマールを飲みたければ、モンティーユとここのクロ・デ・ゼプノを飲むべきである」といっているほど高名な生産者。

エプノは5ヘクタール リュジアン1ヘクタールの大ドメーヌ。

現在はシャンソンの社長でもあるジル・ド・クールセルがアンヌ、マルゲリット、セシルの3姉妹とともに所有している。ちなみにジルは銀行家でもある。

 1996年にヴォーヌ・ロマネ村のドメーヌ・コンフュロン・コトティドのジャック氏の息子、イヴ氏をマネージャーとして招聘して以来、スタイルは少し変わってきたようである。(とはいえ醸造に関してはほとんど変わっていないように思える。)

①ストラクチャーを出すために基本的に徐梗はしない。(が必要なときにはする柔軟性もある。)
②約8℃で7~8日間低温予備浸漬した後に大樽で約20日間醗酵。
③醗酵中に温度を30℃以下に保つために一日に何度かスーティラージュして機械を通すことで温度を下げる。
④ブドウの持つ成分、色素を抽出するために1日に何度かピジャージュを行う。
⑤力強さと凝縮感を出すためにフィルタリング、清澄剤による清澄は行わない。


2 1990 VOSNE ROMANEE  JEAN GROS 

グロ家の歴史は1804年のアルフォンス・グロの誕生から始まるという。その後いろいろあって、第1次世界大戦で負傷した経験を持つ4代目のルイ・グロへと引き継がれ、今日のグロ家の礎を築いたという。

 1951年にルイ・グロは亡くなり、畑は残された4人に相続された。彼らは1963年まで共同でドメーヌを経営していたという。その後ドメーヌは四兄弟によって、3つに分割された。ジャン・グロとグロ・フレール・エ・セール(グスタフとコレットの共同経営)、そしてフランソワ・グロだ。ミッシェル、ベルナール、アンヌ・フランソワーズの三人だ。ミッシェルがジャングロの後を引き継ぎ、すでに嫁にでていたアンヌ・フランソワーズにも生前相続の関係で所有する畑が引き継がれたのだった(リシュブールが有名だ)。そのジャン・グロが正式に引退したのが1995年である。

ミッシェル・グロは1970年代より父、ジャン・グロと共にワイン造りを続け、現在は1995年に相続した単独所有のヴォーヌ・ロマネ一級畑「クロ・デ・レア」を始めとして合計17.44haの畑を所有。ミッシェルの造るワインは比較的高温発酵で、ぶどうの持つ要素を最大限引き出す。


3 1983 NUIT SAINT GEORGES LES SAINT GEORGES  HENRI GOUGES 


このドメーヌは1925年、小作農だったアンリ・グージュ氏が畑を購入して設立された。
設立当時は9haであったが、現在は14.5haになる。 創始者アンリ氏は近代ブルゴーニュワインの立役者。

20世紀初期、ネゴシアンによって名前を偽ったブルゴーニュワインが出回っていたのを危惧して29年、ルソー、ダンジェルヴィルらとブルゴーニュワインの品質を守る組織を結成し、この地でもっとも早く元詰を実現し、消費者に直接販売を開始した。アンリはその後ニュイ・サンジョルジュの組合長から始まり、46年にはコート・ドールの組合長に就任。 67年にアンリ氏が死去すると、彼の2人の息子が2代目として跡を継いだ。ミッシェルが主にカーヴと販売を担当しマルセルが栽培を担当した。現3代目は70年から各々の息子。カーブと販売担当のミッシェルの息子がクリスチャン、栽培担当のマルセルの息子がピエール。


剪定はギュイヨ・サンプル。ラ・リュット・レゾネ(対処農薬栽培法)を採用し、基本的に虫がついた時のみ、その樹のみに必要最低量の農薬を与える。肥料は土壌を分析した上でコンポストを撒いている。芝を植えているところでは収量が自然に抑制されているため、摘房を実施したことがないという。

収穫果は100%除梗・破砕され、ブルゴーニュでは珍しい閉鎖式コンクリートタンクですぐに発酵に移る。このドメーヌの発酵過程で特筆すべき点は、上述の通り「セミ・MC(マセラシオン・カルボニック)」

密閉タンクで、初期段階の発酵を行うことにある。(ボジョレーなどと異なって収穫果を事前に破砕しており、果皮内の発酵というわけではなく、厳密にはマセラシオン・カルボニックとは異なる)カルボニックガスが充満した状態で2-3日間の発酵を行い、その後は蓋を開けて通常の発酵過程に入る方法を取る。SO2を大量に必要とする低温浸漬よりも、この方がごく自然に色やアロマを抽出できるという初代アンリ氏の1947年からのアイデアを守り続けている。

新樽は10~15%。

年毎のタンニンの質によってはごく軽く清澄する年もある(最近では93、94、95年)。



4 1982 GEVREY CHAMBERTIN  JEAN ET BASTAIN RICHARD

1938年にジャン・リシャールが設立したドメーヌ。その後、息子のアンリが跡を継ぎ、現在はアンリの娘マルガリット・バスチャンが運営。

所有畑4ha弱

1992年~パトリック・マロワイエ氏を栽培・醸造責任者として迎え入れる。

2000年より有機栽培。

2001年にオー・コルヴェの畑でビオディナミを開始。

2005年にはエコセールの認証取得。

ルネ・ブヴィエやニコラ・ポテル、ルー・デュモンなどの小規模の優良ネゴシアンにバルク販売


5 1976 PERNAND VERGELESSES IL DE VERGELESSES   Laleure Piot

3世紀にわたってワイン作りをこの地にて行う小さいながらも歴史のあるドメーヌ。現在は5代目のフレデリック・ラルール。

10ha。5つのアペラシオンを持つ。コルトン・ブレッサンドとシャルルマーニュはこのドメーヌのフラッグシップ。

4日間にわたる低温浸漬のあとにゆっくりと発酵を始める。これは果実味とヴォリューム感を出すためである。そのご18ヶ月間にわたりニヴェール産の樽にて熟成。




6 1972 CHAMBOLLE MUSIGNY  BOUCHARD 


フランス革命より60年近くも前の、1731年に創立されたネゴシアン。

1995年7月ジョゼフ・アンリオに売却。
ブシャール社は新醸造施設、キュヴリー・サン・ヴァンサンを完成させる。建設費約20億円、建築期間1年8ヶ月の歳月を費やし完成  

ブシャール家はもともと北ヨーロッパで生産されるウールの商人で、北と南を行き来 するうちにワインも扱うようになり、記録では1731年まで遡ることができるという歴史をもつ。

19世紀にアントワーヌ・ フィリベール・ブシャールという人がカイユレ、フルミエ、タイユピエなど7haの畑を買ったのをはじめとして徐々に畑を 買い増し現在は130ha、うち86haがグラン・クリュとプルミエ・クリュという大地主でもある。


7 1973 BEAUNE /  LOUIS LATOUR 

1797年創立のラマロッスを起源とするボーヌのネゴシアン。アンリ・ラマロッスは相続者を持たず1867年に死去し、古くから彼の右腕であったルイ・ラトゥール3世がこれを継承、メゾン・ルイ・ラトゥールを興しました。

ラトゥール家がブドウ畑の拡大に乗り出したのは19世紀末、グランセイ伯爵が、グラン・クリュ・コルトンをはじめとする35haのドメーヌをルイ・ラトゥールに売却してからで、今日、その地勢図はジュヴレシャンベルタンからピュリニィ・モンラッシェまで45.78haにおよびます。

とりわけ白ワイン造りにおいて非常に信頼があり、9haを所有するコルトン・シャルルマーニュはルイ・ラトゥールの看板ワイン。そもそも、石灰岩質の多いコルトンの南西斜面にシャルドネを植えたのがルイ3世だったのです。

今日、ルイ・ラトゥールを率いているのは7代目のルイ・ファブリス・ラトゥールであり、ドメーヌのブドウ栽培とワイン造りは、ドニ・フェッツマンとジャン・ピエール・ジョバールが指揮を執る。